今日はアウシュヴィッツ・ビルケナウ強制収容所に行ってきます。
約3週間前に日本人ガイドの中谷さんにメールし、この3日間のうちに人が集まる時に行きたいが参加できるかと問い合わせし、無事参加できることになったのです。
朝8時40分のバスなので、8時からの宿の朝食を10分で食べ、8時30にはバスターミナル到着。バスチケットは前日にバスターミナルの窓口で買ったけど、当日バス内で買ってる人も多かった。どちらで買っても18ズウォティ(約540円)。
バスは定刻5分前ぐらいにやってき、車内は空席もあり。
9時10分頃到着し、他の日本人の方と中谷さんを待つ。
今回、人が集まっても3〜4人ぐらいかな〜と思ってたけど、6人もいた!ガイド料は150ズウォティ(約4500円)。最大10人集まっていればひとり90ズウォティ(約2700円)ぐらいじゃないかな?
全員揃ったあと手荷物検査を通り、博物館内へ。入館手続き等は中谷さんが全部やってくれる。コロナ前よりは空いてるみたいですぐ入れた。
持ち込める手荷物のサイズは、公式では30×20×10cmらしいけど、その倍ぐらいでも大丈夫でした。(2022年9月現在)
そしてガイドツアースタート。
写真は数カ所以外は自由に撮っていいのですが、貴重なガイドのお話をちゃんと聞きたくてあまり撮れなかったのですが…
恥ずかしながら、アウシュビッツ→ナチスドイツ→ヒットラーはこんなひどいことをしました→ユダヤ人の悲惨な過去を知る…
というイメージだったのですが、全く覆されました。
この博物館の目的は、人類が同じことを繰り返さないため。ドイツ人とか人種関係なく、私たち人類はそういう過ちをしてしまう可能性がある。
印象に残ったお話は…
・連れてこられた人の75%は、働かされる前に殺されたこと。働くことになっても、3ヶ月〜6ヶ月で死んでしまう。生き残った人は10%。
・ユダヤ人は金持ちという印象を私達は植え付けられているが、実際は貧しい人の方が多かった。
・もう自宅に帰れないとわかりつつも、自分達は収容されるような人物ではないと思われる為にきちんとした格好で向かった。
(コロナでアジア人が欧米で差別を受けていたが、その中で訪欧する日本人も同じように綺麗な格好をする人が多かった。)
・(ナチスが決めた定義の)ユダヤ人だけでなく、もともとはポーランド人が収容されており、ロシア人、障害者、同性愛者、エホバの証人、ロマ(ジプシー)の人もいた。
・ヨーロッパにいると、良かれと思ってジプシーがいたら気をつけろという言われることもあると思うが、それも偏見。
・日本に特別支援学級があるが、それは国際的には批判されている。ヨーロッパでは、障がい者も、全部ではなくても、一緒に教育を受けさせ、その人ができることを見つけていくようなやり方にしている。人間を区別しない世の中にしていく方がよい。
・ヒットラーに酷いことをされたというような展示物は少ない。なぜなら、実際は収容された人通しの暴力が酷かったこと。
・収容所内では、極限に追い込まれた人通しで密告しあったりしていたこと。お互い疑心暗鬼になるよう、ナチスは女性は坊主にする人・しない人など差を作り、坊主にされなかった人はナチス側と関係があるのかと思わせたりし、仲間同士で監視しあうような環境を作った。
・イスラエルとパレスチナの問題はあるが、この歴史を振り返ると、第三者がイスラエルが悪いとは簡単に言えない。極限状態に追いやられ、最悪の環境で命を落とした彼らの過去があって今の状況がある。
・日本国内では、日本は戦争で被害者のような教育をされているが、果たしてそうなのか?日本がやった酷いことも教育すべきでは?でもなかなか世論に受け入れられずそうとならない。ドイツと同盟国だった日本も、この事実を知っていたのでは?日本人は今は宗教について無関心な人が多いが、盲目的に天皇を崇拝し戦っていたのも宗教のようなもので、そういった歴史もきちんと学ぶべきでは?
・広島の原爆資料館も、アウシュビッツのようにきちんと説明できるガイドを作ろうとしている。戦争で核を使うことが二度と起きないように。
・アウシュビッツ博物館は二度と同じ過ちを繰り返さないようにやってきたのに、ウクライナで戦争が始まってしまい反省している。
・ウクライナ人は民主主義を守る為に戦っているのに、可哀想と言われたくない。そう思われるのはうんざりしている。
・未来に同じ過ちを繰り返さない為に、若い人に沢山来て欲しい。
ガイドをお願いして本当に良かったです。
英語のガイドかフリーで入場してたら、ほとんど何も理解せずに写真撮って終わりだった。
過去の迫害の展示博物館ではなく、未来に同じことを繰り返さない為に、あらためて考える機会になる場所でした。
(日本語ガイドの予約メールは検索すれば見つかります。)
ガイドは休憩入れて3時間とのことだったけど、沢山話してくださり3時間半。
14時頃解散し、14時45分のクラクフ行きで帰れるようなスケジュールでした。(早く終われば13時45分のバスでも帰れる場合あり)
帰りのバスの時間も案内してくれたり至れりつくせり。6人でちょうどいい人数だったなと思いました!
私はそのバスで帰らず、同行者の方がバス停の近くで昼ごはんを食べるというので私もご一緒させてもらう。
博物館の中もすぐ近くのとこも高いけど、ここなら手頃で味も悪くないってレストランを中谷さんから教えてもらったその場所は、確かに手頃で美味しかった!
ワルシャワのミルクバーに比べると1.5倍ぐらいだけど、博物館近くでこのお値段はかなり良心的。クラクフ旧市街のミルクバーと比べても少し高い程度。お客さんは他に2〜3組しかいなかった。
豚肉のシュニッツェル33、炭酸水6+チップ。周辺に、軽食食べれそうなとこもありました。
遅めの昼食を食べ終わって、時刻は15時20分。16時からフリー入場が始まるので、さっき撮れなかった写真でも撮って帰ろうかなと思ってたけど、雨が降ってきたので15時半のバスでクラクフに帰ることに。
100ズウォティ札しかなかったので、カードで払おうかと思ったら、なんとカードがない!!
一緒にいた日本人の方にとりあえずバス代18ズウォティを立て替えてもらい、もう一度鞄の中を探すもカードが見つからない…!!
そういえば、昨日宿の共有スペースで、お財布を足元に落としてるのに気付かずにコップ洗ってたので、あの時、カードがするっと財布から飛び出してい、それに気付かなかったのか?と青ざめる。
クラクフに帰るまで、不安な気持ちを同行者の方に聞いてもらい(←いい迷惑)、立て替えてもらった18ズウォティ分を持ってた5ユーロでお返しし、クラクフに到着後、急いで宿に帰る。
こないだ眼鏡をミルクバーに置き忘れて見つかったの奇跡と思ってるから、今回はさすがに無理かな…と思ってたけど、なんとありました!!
手帳に挟まってた…!!昨夜残金を確認するために、手帳の上に邪魔なカードを財布から抜き出し、そのまま手帳を閉じてしまったんだと思う(←バカ)。
先程巻き込んでしまった方に結果報告し、カルフールでカップスープ買ってきて、それ飲んで就寝。
うっかりはもうこれで終わりにしたい!!